2008年03月30日
働くという事
立場上、雇用される側ではなくて
雇用する側の身になって、もうすぐ丸27年目に入ろうとしている
でも、私にはいつまで経っても
「雇っている人達」という感覚がない
「大切なジェムを一緒に作り上げて行ってもらっている人達」という表現が1番自然に感じる
量的にも、質的にも、
自分1人ではとうていできない仕事なのだから
一緒に仕事してくれる人がいてこその事だという感謝もある
でも、きっともうひとつ大きいのは
私の職業観から来るだろう
私がこの仕事を選んだのには
たくさんの理由があったけれど、
その中の大きなひとつが、
妻として、母としての時間をおろそかにしたくなかったから
仕事もしたい
地域の人達のお役に立ちたい
でも同時に、妻や母である為の時間もきちんと確保したい
仕事を持つ女性の永遠のテーマは
仕事と家庭の両立
男性が同じテーマで頭を悩ませる事は、女性ほど多くない
女性、母性の部分で譲りたくない所を譲らずに、
今までの長い間、思う存分仕事をさせてもらえたのは
やはり一緒に仕事をしてくれてきた仲間のお陰に他ならない
出産の時、
授乳期から子育ての手が離れるまでの宝物のような頃
学校行事の時も
子供が熱を出したりした時も
人生のいろんなステージで
スウィッチをオフにせずに好きな仕事に走り続けてくる事ができたのは
スタッフがいてくれたから
そんな中でいつの間にか作られてきたジェムスクールの就労規則
家族の為に仕事を休む事を遠慮しないコト
子供が夏休みや春休みのときなど、ママさんスタッフはムリのない勤務シフトを自己申告で
1ヶ月単位の、長期休暇も明確な理由があれば遠慮しない
体調が悪い時はムリしない
内容と状況によっては在宅勤務
雇用する側のセリフとは思えないと言われるけれど、
私がいつも言うのは
自分を殺して体にムチ打ってまで働いても
会社は体も心も元には戻してあげられないという事
仕事の為に生きてるんじゃない
幸せの為に働いてるんだから、と。
ありがたい事に
私がそういう考え方だからと言って
それを逆手にとってわがままするスタッフは未だにない
そういう、ありがたい仲間に恵まれての職場だからこそ
私がこういう考え方で仕事をできてきたのかもしれない
もちろん、
ただ単にカンタンに仕事を休んでもいいというルールではない
休んでも自分の担当部分の仕事についての責任は消えない
代わって片づけてもらえる仕事ばかりではない
でも、必要な時にはいつでも遠慮なく休めるのだという絶対的な信頼と安心感に支えられると
逆に、自分が元気で誰かの穴を埋めれる時は率先してどんどん頑張る事ができる
独身か既婚か
子育て中か否か
学生かママさんか
自分の人生のステージによって
先に支える側に回ってから
後から甘えて支えてもらう事が増える立場になる者もいる
まだまだずっとしばらくは支える側だとばかり思っていた者が
思いもかけずドンとまとめて長欠して、恩返ししてもらう側になる事もある
順番はいろいろだけれど、
支えたり、支えてもらったり
変形労働時間という法律の中で、できる範囲の限界はあるけれど
それでもこの働き方を大きく崩さなければいけない時はまだ来てはいない
スタッフを信頼できるからこそ、成り立つ方法だとも思う
大企業のように高給優遇はオファーできないけれど
幸せに仕事してもらいたいと思い続けて、いつかしらできあがった形
私自身も時々甘えさせてもらってもいる
でも今は、主に支える役目になって
恩返しできている事もうれしい
Posted by みーせん at 12:00│Comments(0)
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